こちらが
東日本大震災から
10年あまりを経て完成した石碑
「女川いのちの石碑」です
津波の記憶や教訓を後世に伝え
さらに
これから1000年先の命を
津波から守る役割となるように
との思いも刻まれています
太平洋に面した
宮城県女川町(おながわT)の
21ある全ての浜に、
2013年11月から
1基ずつ建てられてきました
そして、去年11月
最後の石碑21基目が完成
丸8年かけて建立されました
この「女川いのちの石碑」は
震災直後の2011年4月
地元の中学校に入学した生徒たち
60人あまりが発案・計画しました
校舎は沿岸から
数百メートル離れた高台に位置し
教室の窓からは
大津波によって変わり果ててしまった
町の様子が目に入っていたそうです
初めての社会の授業で先生が
「女川の町が大変なことになっている
地元のために何かできないか?」
と投げかけ
生徒たちが
「漁業を復活させる」
「ライフラインを整備する」など
意見を出し合ったのが始まりでした
そして
未来の命を守るために
新たな石碑を残していこう
石ならば
1000年先まで残るだろうと
津波到達地点より高い場所に
石碑を建立することが決まりました
石碑を建てる活動の
中心メンバーのひとり
大学4年生の鈴木智博さんに
(すずき・ともひろ)
案内してもらい
女川町の石碑を見て回ってきました
鈴木さんは
当時の中学生のひとりで
現在も地元女川に住みながら
石碑の案内と
震災の語り部活動をされています
石碑の高さは2メートル以上
中央に太い文字で
「女川いのちの石碑
千年後の命を守るために」と
左側には中学生たちが考えた
五七五のメッセージも刻まれています
「夢だけは 壊せなかった 大震災」
こちらの句は
「愛すべき 未来のために 我が道を」
さらに
災害への備えの言葉も
記されていました
「大きな地震が来たら
この石碑よりも上へ逃げてください
逃げない人がいても
無理矢理にでも連れ出してください
家に戻ろうとしている人がいれば
絶対に引き止めてください」
石碑の裏側には
英語、フランス語、中国語でも
刻まれています
これら生徒たちからの
たくさんの教訓が
私の心にも深く刻まれました
石碑を建てるまでには
いろいろな苦労もあったそうです
例えば資金面
生徒たちは
女川町内に募金箱を設置したり
修学旅行で訪れた東京で
街頭募金を行ったり
さらに
都内にある大手企業を訪問して
協力をお願いしたりしました
その結果
活動から半年あまりで
目標の1000万円が
あたたかい気持ちとともに集まり
県内の石材会社の協力も得て
建立が進められてきました
鈴木さんは
女川いのちの石碑の完成について
「初めての取り組みに
大きな不安がありましたが
地元女川の人たちや
多くの企業からの協力
そして
同級生という仲間の助け合いによって
21基全ての石碑が完成できました」
と話してくれました
大学生になってから鈴木さんは
月に1度ほど
仙台市内や関東から訪れた
中学生・高校生に石碑を案内をし
遠くは高知県の中学校からも招かれ
震災の教訓を伝えてきました
鈴木さんは、
「決して大地震と大津波を他人事とせず
自分の命、周りの命を守る
防災意識を高めるきっかけになってほしい
これらを自分たちの
大切な人たちにも伝えることで
大切なふるさとを守ってほしい」
と思いも語ってくれました
終始鈴木さんは
落ち着いた口調で話してくれたのですが
強い責任感とは違う
あたたかなものを私は感じました
いま思うとそれは
震災で亡くなった母親と祖父母の
見えないエネルギーに守られ
支えられているのではないのだろうか
と感じています
春からは新社会人となる鈴木さん
配属先の関係で
ふるさと女川を離れることも
ありうるそうですが
これからも機会をつくり
石碑の案内と
語り部の活動を続けていきたいと
話しています
さらに
「石碑の完成は
ゴールでも区切りでもない
ここからがスタート
1000年後の命を守のが目的なのだから」
と鈴木さん
震災当時、中学一年生だった
鈴木さんら生徒たちの思いが刻まれた
女川いのちの石碑は
これから1000年先までずっと
命を津波から守る
大きな大きな存在となっていきます
石碑の案内の申し込みは
女川町観光協会で
受け付けています
ホームページをご覧ください
https://www.onagawa.org
フリーアナウンサー
荒響子