3月12日(火)の早朝
NHKラジオ第1
「マイあさ!」
をお聴きくださった皆さま
誠にありがとうございまいた!
出演した前日は
3月11日
東日本大震災から
13年となった日でした
その翌日の放送
ということで
今回は
甚大な被害に遭いながら
新しい方法を模索して
いちごの栽培を
続けてきた
宮城県の2つの町について
お伝えしました
宮城県では
海沿いで
日照時間が長いことと
昼と夜の
寒暖差が大きいことが
いちごの栽培に
適しているとして
50年ほど前から
太平洋沿岸の広い地域で
作られてきました
中でも
県の南に位置する
亘理町(わたりT)と
山元町(やまもとT)では
盛んに生産されていて
この2つの町を合わせた
生産量は
東北一を誇ります!
しかし
その道のりには
決して忘れない
忘れられない
記憶があります
東日本大震災です
2つの町のほとんどの
いちご栽培施設は
沿岸部に広がっていました
13年前に発生した
巨大津波は
苗やハウスを飲み込み
栽培施設はほぼ全壊
いちご農家のほとんどが
家もハウスも失うとういう
甚大な被害にあいました
そんな中
復興に向けて
整備されたのが
「いちご団地」でした
いちご団地というのは
いちごの栽培施設を
1か所に何棟も集めて
団地状に整備した
大型の鉄骨ハウス団地です
亘理町は3か所
山元町は4か所に
いちご団地を整備され
2つの町を合わせて
183棟が
震災の2年後に
完成しました
このいちご団地では
これまでとは全く違う
高設養液栽培という
栽培方式が採用されました
いちごの苗を
地面から高い位置に設置して
栽培するもので
養分が含まれた水を
配管を通して与える
栽培方法です
その高設養液栽培を
2月下旬
実際に見せてもらってきました
訪ねたのは
亘理町で
父親の代から始めた
いちご農家
赤間悟さん(53)
(あかま・さとる)
の農園です
高設養液栽培のハウスを
案内してもらうと
赤く色づいたいちごや
これから色づくいちごが
たくさん実っていました
赤間さんが
高設養液栽培に
切り替えた理由を
教えてくれました
切り替えた・・
正しくは
そうせざるを得なかった
というのです
震災前のいちご作りには
地下水が利用されていました
いちごハウスを飲み込んだ
巨大津波の海水が
土壌だけでなく
その地下水にまで染み込み
塩害が発生したためです
養液栽培になって
いちごの苗を植える
培地・土台は
土からヤシガラに
代わりました
椰子の実の殻
が原料のヤシガラは
根が張りやすく
保水性や通気性にも
優れているため
いちごの苗が
しっかり
育つのだそうです
赤間さんに
震災当時のお話も
伺いました
赤間さんの自宅と農園は
沿岸部から
距離があったため
津波による倒壊は
免れましたが
津波は腰の高さまで
押し寄せたと言います
土耕栽培で収穫中だった
いちごとその苗は
海水に浸かり枯れ
畝と畝の間は
汚泥で
埋め尽くされてしまった
そうです
海水を含んで
堆積した汚泥は
水分が抜け乾燥すると
とても重たくなり
ハウスの外に
運び出すのが
容易ではなかったそうです
そんな中
震災から4か月後(7月)
関東から
ボランティアの人たちが訪れ
重たくなった汚泥を
取り除く作業を
汗だくになって
手伝ってくれました
週に1回のペースで
1か月以上通ってくれた
ボランティアの皆さんに
赤間さんご夫婦は
「とても助かりました
ありがたかったです」
と話していました
こうして
震災の年の12月中旬
例年より遅くなりましたが
いちごを収穫することが
できたそうです
赤間さんのいちごは
市場への出荷と
自宅兼農園での直売
そして今月(3月)からは
土日のみですが
いちご狩りでも味わえます
震災後
栽培方法が変わりましたが
管理の仕方も
大きく代わりました
いちご団地に
最先端の技術が
導入されたのです
養液と水やりの
量やタイミング
ハウス内の
温度・湿度の管理などが
自動で
行えるようになったんです
山元町で
50年以上になる
いちご農家
佐藤義廣さん(68)の
(さとう・よしひろ)
最新鋭のハウスを
訪ねました
およそ1万3000株の
「とちおとめ」が
栽培されていて
いちごの優しい香りが
ふわっと漂うとともに
活き活きと伸びた株に実る
赤いいちごが
目に入りました
すると突然
頭の上から
音が聞こえて来たんです!
ハウス内の温度を
一定に保つために
自動で開いた天井の窓が
日の傾きとともに
また自動で
閉められているところ
だったんです
ハウス内の
環境制御技術は
スマホで操作できるそうで
その便利さに
驚きました!
震災から3年後に
いちごの初摘みが
できたそうです
いちごの品質が良くなり
生産量も
震災前より
多くなりました
こうした
最先端の管理のもと
ではありますが
佐藤さんはいまも
震災前と変わらず
朝早くから
ハウスに足を運んで
苗の状態を
しっかり
自分の目で見て
確認しているそうです
その佐藤さんの
ごつごつした右手を見ると
指先が土色で
この手には
震災を経て
50年もの歳月が
刻まれているのだなと
胸が熱くなりました
津波で
自宅もハウスも失った佐藤さん
いちごはもう作れない
だめかもしれない
という思いから再起して
今年もじんわり甘くて
味わい深いいちごを
たくさん届けます
いまが出荷の最盛期の
宮城県産のいちご
出荷は5月いっぱいまで
続くということです
出会えましたら
ぜひ味わってほしいです!
フリーアナウンサー
荒 響子